人口64万人を超える船橋市は商業を中心に発展してきました。この記事では千葉県内在住のレポーターが船橋市の成り立ちを調べ、紹介します。
船橋のはじまり
船橋の起源は古く、旧石器時代の後半といわれています。人が住んでいた痕跡として、西船・印内の印内台遺跡群の一部から約3万年前の石器が出土しています。平安時代の歴史書に、船橋市に関する記事として意富比神(おほひのかみ)の名が記されています。意富比(おおひ)神社は、現在「船橋大神宮」の名で知られる船橋地方最古最大の神社です。鎌倉時代に入ると、船橋地方は幕府の有力な御家人、千葉氏の勢力下にあったとされ、歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』に、初めて「船橋」の名が記されています。
―船橋大神宮にこんなにも古い歴史があったなんて知りませんでした。京成線「大神宮下」駅から徒歩3分の場所にあるので、電車でも訪れやすいです。
江戸時代より漁師町として栄えた船橋

現在の船橋駅周辺は、江戸時代には「船橋宿」として栄えていました。船橋地方は徳川家康の領地となり、街道が新設・整備され、船橋は御成(おなり)街道、佐倉(成田)街道、上総街道、行徳街道の集中する所でした。船橋は佐倉街道最大の宿場であり、交通量・旅籠の利用者が多く、江戸後期には旅館数が30軒にも上りました。
当時、主な産業は水田農業が中心でしたが、宿場や漁師町近辺では、野菜や果樹栽培も盛んでした。船橋浦漁業の歴史は古く、船橋の漁師町は内湾有数の漁業地帯で、主に春~秋は網漁、冬は貝漁が行われました。船橋浦漁業は現在でも東京内湾奥部で唯一本格的な漁業を行っている地域です。船橋漁場西部には全国的にも有名な「三番瀬」があります。
―ふなばし三番瀬海浜公園では潮干狩り場としても人気のスポットです。新鮮でおいしい貝がとれるのは、ここが恵まれた漁業環境だという証ですね。
馬との深い縁
船橋郷土博物館には、ひときわ目立つ馬の模型が展示されています。これは、市内で出土した骨をもとに復元されたものです。船橋では古くから馬の飼育が行われており、北部には幕府の軍馬育成のための放牧場が広がっていました。昭和17年までは「騎兵連隊」の拠点があり、現在はふたつの競馬場(中山競馬場、船橋競馬場)で賑わいっています。
―江戸時代の軍馬育成の歴史が、今の中山競馬場や船橋競馬場の賑わいにつながっているんですね。
鉄道の発達から商業都市へ
明治初期には船橋沿岸部で塩田が開発さました。明治中頃から大正にかけて鉄道網が発達すると、商業都市、海浜リゾート地としての発展を遂げていきました。昭和12年4月、当時東葛飾郡にあった船橋町、葛飾町、八栄村、法典村、塚田村、あわせて五つの町村が合併し、千葉県内で4番目に市として発足されました。
その後、昭和28年、29年に二宮町と豊富村を合併して現在の船橋市になりました。
戦後は、津田沼駅周辺に大型店舗の進出が相次ぎました。船橋市は首都圏有数の商業都市として「谷津遊園」「船橋ヘルスセンター」などが賑わいをみせました。広大な軍施設の跡地や湾岸の埋め立て地を中心に、工業が発展し、内陸部には多くの住宅団地が開発され、東京のベッドタウンとして人口が増加しました。
千葉市に続く大都市へ
船橋市は県内で千葉市に次いで第2位の人口規模にまで増え、近年は湾岸や郊外にららぽーとやIKEAなど大型商業施設が多数立地し繁華街として賑わいをみせています。交通の要所として千葉県内各方面と東京都心方面をむすぶ鉄道網が発達し、現在では、市内に9路線、35駅が点在し、たくさんの鉄道が走っています(平成30年6月時点)。今後も、道路の新設・拡幅や河川の改修等、都市基盤の整備が着々と進んでおり、船橋のあゆみは新たな展開期を迎えています。
―ららぽーとやIKEAなどをよく利用する消費者としては、こんなに便利な場所はないというくらい施設も交通も充実した街だなと感じます。何気なく通る道や訪れる場所にも、深い歴史を感じながら出かけてみたいと思います。