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柏市の若白毛で、 難読地名の街を紐解く|歴史ぶらり散歩【カベルナリア吉田】

柏市若白毛で難読地名の街を紐解く「歴史ぶらり散歩」シリーズ。 今回は柏駅から若白毛の街並みを難読地名を紐解きながら歩きます。 弥生式住居跡、平将門の子孫、イースター島のモアイ像風置物⁉など見どころがたくさん!くすっと笑える【カベルナリア吉田】独自の視点をお楽しみください。

今回は柏市若白毛を歩きます。

若白毛
若白毛

【カベルナリア吉田】の過去記事はこちら

ロマンスグレーが住む街?

若い頃、数十年後の年老いた自分を想像する時、それは必ず「白髪がフサフサした、ロマンスグレーなオジさん」だった。ダンディな老紳士になるつもりでいた。

だが現実とは残酷なものだ。

20代後半から髪が薄くなり始め、ロマンスグレー作戦は音を立てて崩れ落ちた。さらに体重も増え(今は少しやせたけど)「ヒゲ熊」路線まっしぐら!

「自分は芸能人だと誰に似ている?」と聞かれて「ジャン・レノ」と答え、何度周囲を凍りつかせたことか。渋みも深みもなく、いたずらに年齢だけ重ねて、初老に差しかかった自分である。

何の話かというと、柏市に「若白毛」(わかしらが)という地名があると聞き、行ってみることにしたのである。ちなみに僕は3歳から5歳、幼稚園の年長1学期まで柏に住んでいた。それ以来50年ぶりの柏だが、当時の面影は残っているだろうか。

大都会・柏駅前で道に迷う

残ってねーな面影。そしてどっちに行けばいいんだか!

半世紀ぶりに降り立った柏駅前で、僕は途方に暮れた。駅はデカいし、駅前のアーケード通りが複雑に交錯して、何がなんだかわからない!

野性の勘を働かせズンズン歩いてみると、手元に用意していた地図に載っている整形外科が見えてきて野性の勘大当たり。そのまま歩き続ける。

それにしても変わったな柏駅前。5歳時の記憶だからあやふやだけど、ここまで都会ではなかった。確か駅前の「そごう」最上階に回転レストランができて「おおっ!」と思ったタイミングで引っ越したが、そもそも「そごう」がもうない。そしてこんなにたくさん店はなかったし、人もこんなにいなかった。

駅から続く「東パル街レイソルロード」を歩き抜けると、ようやく喧騒も収まった。そして古い建物が数軒残っている。

年季の入った落花生屋に、すすけたモルタル壁の民家。ピーナッツじゃなくて「落花生」、だって千葉県だから。

道がY字に分かれ、左へ延びる県道282号を、印西方面へ進む。 ――おっ、自転車の学ラン男子軍団、その全員が頭に白いヘルメットを装着。急にのどかな雰囲気だ。

バス停「刈込」を横目に、坂道を下る。何を刈り込んだのか刈込。

刈込バス停。何を刈り込むのか
刈込バス停。何を刈り込むのか

そして刈込坂交差点を境に住宅街が突然途切れ、前方に原野が広がり、ビニールハウスも見える。

数分前に見た、駅前の都会風景の記憶が遠くなる。ちょっと歩けば柏は、こんな感じなのだ。そして交差点の脇に木がそびえ、ベンチを置いた庭園「カシニワ」も。

IMG_1674 カシニワの巨木とベンチ
カシニワの巨木とベンチ
カシニワのゆるキャラ
カシニワのゆるキャラ

柏市では空き地に手を加え、誰でも使える地域の庭「カシニワ」にする活動が行われているのだ。

刈込交差点を左へ。道沿いの原野は稲が育つ前の田んぼで、地平線まで景色が広がり気分爽快。

稲が育つ前の水田が広がる
稲が育つ前の水田が広がる

足元にドングリも転がり、

足元にドングリが
足元にドングリが

50年前の幼稚園時代を思い出す。当時は意味もなくドングリを拾っては、むやみにコレクションしたものだ。

行く手を国道16号が横切る。柏で住んだ家も16号に近くて「危ないから絶対に渡っちゃダメ」と親に厳命されていた。その16号の下をくぐる通路を進み、さらに先へ。

閉じた学校の跡、だが手元の地図には「弥生式住居跡」と書いてある。かつてここに戸張城という中世のお城があったそうだ。鎌倉時代初めに下総国を治めた氏族、相馬氏の流れを汲む、戸張八郎行常さんが居城したという。そして相馬氏は、平将門の子孫ともいわれている。

ただし今は、フェンスの外から様子をうかがうしかない。とにかくここに城があり、弥生時代から人が住んでいた。

うっそうと茂る林。周辺に戸張城があり、弥生時代に人が住んでいた
うっそうと茂る林。周辺に戸張城があり、弥生時代に人が住んでいた

日本史では習わない、千葉の歴史を学ぶ散歩の旅。 国道16号に戻り、東南へズンズン進む。大津川に架かる橋を渡ると、

途中を流れる大津川の、穏やかな景色
途中を流れる大津川の、穏やかな景色

謎の「エリカ前」バス停と、大井エリカ公園。

謎の「エリカ前」バス停
謎の「エリカ前」バス停
大井エリカ公園!
大井エリカ公園!

大井エリカ公園!

大井エリカ! 「転校生の大井エリカです、ヨロシクね!」

そういうことではなく、ここは柏市大井町で、近くに「エリカ」名義のマンションがあるのだ。さらに進むと道沿いに浅間神社の鳥居が立ち、

浅間神社の鳥居
浅間神社の鳥居

「相馬の小次郎こと平将門、王城の地」

と太い毛筆書きの看板が。

 相馬氏は平将門の子孫だといわれている
相馬氏は平将門の子孫だといわれている

エリカから将門まで、いろいろあるね柏。日が傾いてきたので先を急ぐ。

途中の石材店の前に、イースター島のモアイ像風置物が⁉

イースター島もビックリ、道ばたにモアイ軍団が!

ズラリと並んでいるが、チラ見しつつ進む。

大井交差点で左折して県道282号に戻ると、電柱に「大木戸通り商店会」看板が連なりだす。

大木戸通り商店会
大木戸通り商店会

だがそんなに商店はない。途中に「養魚場」の大看板が立ち、

近くに「養魚場」がある
近くに「養魚場」がある

民家の庭の木に小さいミカンが鈴なり。

ミカンが鈴なり
ミカンが鈴なり

そんな感じで駅前の都会風景の残り香が完全に途絶える中、道ばたに立つ電柱の住所表示に……おおっ、「若白毛」の3文字が!

ミ 若白毛に突入!
若白毛に突入!

駅からここまで1時間以上歩いただろうか、やっと着いたぞ若白毛。そして行く手に広がるのは再び……原野!?

原野が広がる若白毛の風景

かつてはキジも飛んでいた?

道ばたに畑が広がり、ネギが整然と育っている。とにかく広い、広大な畑。

若白毛のネギ畑

また畑がある。今度は大根だろうか。

大根畑

これまた広い。

畑の隅っこに、年季が入った石碑が立っている。文字が刻まれているが、年季が入りすぎて読み取れない。

道標が立つが、文字は読み取れない
道標が立つが、文字は読み取れない

バス停があり、停留所名は……「雉子打」って?

雉子打バス停!

山登りの隠語で、男性が外で用を足すことを「キジ打ち」という。だがどうやら、この農村ぶりからして隠語ではなく、かつてここで本当にキジを撃っていたのかも。

とりあえずバス停に、椅子がズラリと並んでいる。

雉子打バス停に並ぶ、応接間用の椅子

椅子は屋外に置くベンチではなく、家庭の食卓や居間に置く室内用タイプだ。近所の家で家族団らんにおける椅子の役目を終え、ここに置かれているのだろうか。椅子にも第二の人生が、ああっ。

バス停の隣に石碑が並び、かろうじて読み取れる「庚申塔」「青面金剛王」の文字。

雉子打バス停の隣に並ぶ石碑群

さらに道ばたに「飛鳥山墓苑」の案内板も立ち、

飛鳥山墓苑の案内板に、お坊さんが5人

お坊さんの絵が描いてある。スゲ笠をかぶったお坊さんが1、2……全部で5人。

飛鳥山墓苑の案内板に、お坊さんが5人

そして道の北側の立つ八坂神社の鳥居。

若白毛の鎮守、八坂神社

くぐって木々に覆われた境内に入ると、昼間なのに暗く、シンと静まり返っている。

八坂神社は若白毛の鎮守で、明治初年ごろに建立された。そして同じころに芸能「若白毛囃子」が始まった。ひょっとこやおかめの面をつけた舞い手が滑稽な舞を披露するもので、7月23、24日の夏祭りで奉納されるそうだ。

とにかく歴史がありそうだ、若白毛。だがそのままズンズン進み、沼南高校入口交差点を過ぎると、住所は「鷲野谷」(これも凄い地名だ)に変わってしまった。

カワウソもいた絶景

若白毛は今でこそ柏市の一部だが、平成の大合併前は、手賀沼の南に広がる沼南町に属していた。

『沼南町史』によれば、若白毛村(当時)の成立は近世初頭と考えられ、1625(寛永2)年の土地目録に「若白毛新田村」の表記が見られる。少なくとも約400年前に、すでに「若白毛」の地名はあったようだ。

地名の由来は定かでないが、まず5世紀末に清寧(せいねい)天皇の家来がこの地に住み、天皇の名前「白髪武広国押稚日本根子天皇(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこのすめらみこと」から取って「白髪部(しらがべ)」としたからとする説。そしてこの地から源頼朝に献上した馬の毛色が、最初は栗毛だったのに、突然白馬に変わっていたという伝承があるから。

とにかくこの地に新田を拓き、水田と畑を耕して、若白毛の人々は暮らしていた。そして周囲には今も、素朴な農村風景が広がっている。

沼南高校入口交差点を左折して、高校方面に向かってみる。道の両側に田んぼが広がり、

沼南高校に向かう途中の水田

水田の中にポツンと高校がある。途中をまっすぐ流れる水路は「染井入落」。

まっすぐ延びる水路、染井入落
まっすぐ延びる水路、染井入落

その「まっすぐ」ぶりから天然の川ではなく、人の手で引かれた水路のようだが、とにかくまっすぐ流れている。傾き始めた午後の日を浴び、田んぼに挟まれ水路がまっすぐ延びる風景が美しい。都会イメージが強い柏で、こんな絶景を見られるとは。

高校の西側に住宅街「手賀の杜」があり、その一角に古い石碑が立っている。刻まれた文字は獺――カワウソ?

かわうその碑
かわうその碑
かわうその碑

住宅地に立つ「かわうその碑」。ここは手賀沼が近く、昔は沼にカワウソがいて、地元に住む「廣瀬(ひろせ)」さんが、弟とカワウソ供養のため建てたそうだ。手賀沼は干拓が進んだし、たぶんもうカワウソはいないだろう。

手賀の杜をあとにして、田んぼに挟まれた道を歩いていると、『夕焼小焼』のメロディでチャイムが響き渡った。時刻は16時半、冬の日が地平線に沈みかけている。

夕暮れの水田風景

夕日が降り注ぎ、一面の水田が金色に染まっている。

夕暮れの染井入落が、空と雲を鏡のように映す

若白毛は、そして柏はこんなにも美しい場所なのか。50年前の幼い頃には、気づくこともなかったけど。

『夕焼小焼』が響き続ける。カラスと一緒に帰ろうか。というわけで自らの薄毛を嘆きながら始まった若白毛の散歩旅は、意外にも懐かしさに包まれて終わったのだった。

若白毛の隣は鷲野谷。

この記事を書いた人

カベルナリア吉田

沖縄と島を拠点とする紀行ライターです。最近は都内で散歩ガイドもやっています。近著に『ビジホの朝メシを語れるほど食べてみた』(ユサブル)、『何度行っても変わらない沖縄』(林檎プロモーション)、『突撃!島酒場』など。

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